赤松晴政

あかまつはるまさ ( akamatsu-harumasa )
1513 〜 1565


赤松晴政 年表



赤松晴政。父は赤松義村
父が浦上村宗との戦いに敗れ、 隠居させられたことにより1520年、赤松氏の家督を相続。 翌1521年村宗に父を殺され、傀儡となるが、 1531年村宗細川高国と結び摂津国へ侵攻すると、 村宗の後詰として参陣。 しかしこのとき高国と対立する細川晴元、 そして足利義維と実子を送ってまで密約を結び、 同年六月に背後から急襲。 挟撃された村宗は戦死。高国は自害。
この「大物崩れ」と呼ばれる戦いである程度の実権を回復したものの、 村宗の子の政宗宗景との対立。 出雲国の尼子晴久の侵攻など、赤松氏による領国経営が難航。
その後、第十二代将軍足利義晴から一字賜り、赤松晴政と改名するが、 1552年に備前、美作の守護職が尼子氏に変わり、 播磨は政宗に取られ、 1558年政宗が晴政の嫡男の赤松義祐を擁立。 争うようになる。

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