赤松政秀

あかまつまさひで ( akamatsu-masahide )
???? 〜 1570


赤松政秀 年表



赤松政秀。父は村秀。 当主の赤松晴政から偏諱を賜り、その娘を妻とする。
1558年浦上政宗晴政の嫡男、 義祐を擁立。追放された晴政を政秀が庇護。 1564年政宗の子の婚儀に急襲し、 政宗を討ち取るが、 翌1565年晴政が亡くなり、 義祐と争う理由がなくなり和睦。
1566年に政秀は所領拡大の兵を独自に起こし、 1567年には足利義昭の使者が訪れ、援助を求める。 そこで政秀は娘を義昭に嫁がせようと行動をおこす。 そのことから義祐との関係が再び悪化し、 小寺政職浦上宗景黒田職隆らと争うようになる。
何度も宗景に攻撃され、 1569年義昭に助けを求めると、 織田信長の軍勢が播磨国に侵攻。 また、備前国では宇喜多直家とも対立し、 宗景は帰国を余儀なくされる。
そこで黒田氏に攻勢をかけるのだが、 職隆官兵衛の親子に何度も敗れたところを宗景に攻撃されて降伏。 翌1570年十一月、毒殺されたと言われている。

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