赤松政則

あかまつまさのり ( akamatsu-masanori )
1455 〜 1496


赤松政則 年表



赤松政則。父は時勝。 当時の赤松氏は「嘉吉の乱」 と呼ばれる赤松満祐が、 第六代将軍足利義教を暗殺する事件により、 山名宗全の手により滅亡していた。 それを旧臣が南朝側から神璽を奪還した功により政則への家督相続が許される。
1467年応仁の乱が起こると、 細川勝元側につき、 その功により播磨、備前、美作の守護に返り咲き、 1571年に侍所所司に任ぜられ、 第八代将軍足利義政の信任を得た。
その後、山名氏との抗争が続き、 1588年山名氏の駆逐に成功する。 それからの政則は第九代将軍義尚、 そして第十代足利義稙に仕え、出仕。 戦功も重ね、1496年に従三位に叙任するが、 同年四月二十五日に播磨国加西郡坂田の長円寺で病気により亡くなってしまう。

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