赤沢朝経

あかざわともつね ( akazawa-tomotsune )
???? 〜 1507


赤沢朝経 年表



赤沢朝経。祖先は小笠原氏。 赤沢朝経は嫡男の政経に家督を譲り上洛。 代々弓の名手で、細川政元を指導した縁で、 第八代将軍足利義政の弓師範となる。
それからは政元に仕えて山城、大和、河内などを転戦し、 幕府料所河内十七箇所の給人、近衛家領山城五ヶ庄の代官、山城三郡守護代などに任じられる。
その後も赤沢朝経は各地を転戦し、対抗する寺社を焼き討ちにするが、 1504年政元を廃して、 政元の養子の澄元の擁立を企む。 しかし、捕えられてしまうのだが、翌1505年に許され、 1506年には畠山義英尚順を破り、 大和国へ侵攻。法華寺などの寺社勢力を焼き討ち、押領。 さらに三好之長と結び、勢力を拡大する。
赤沢朝経は1507年政元の命で、 丹後国の一色義有を攻めるが、 政元暗殺の報を聞き、撤退させようとする。 しかし同年六月二十六日、 赤沢朝経は義有ら丹後国人に包囲され自刃してしまう。

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