尼子晴久

あまごはるひさ ( amago-haruhisa )
1514 〜 1560


尼子晴久 年表



尼子晴久。父は政久。祖父は経久。 元服後は詮久と名乗る。
1518年に父が出雲国阿用城攻めで戦死した為、 跡取りとして育ち、伯耆国の守護代として活躍。 1537年、祖父から家督を譲られ、 1538年大内氏石見銀山を攻略する。 しかし1540年大内側の安芸国の毛利元就吉田郡山城を攻めるが、敗北。 翌1541年に祖父が亡くなり、大内氏へ寝返る者が続出。 同年、第十二代将軍、足利義晴から一字賜り尼子晴久と改名する。
尼子晴久は1542年大内氏に居城、 月山富田城を攻められるが、 以前に寝返った者達が戻り、大内軍は撤退。 1551年大内義隆陶隆房 (晴賢)の謀反で亡くなると、 1552年に尼子晴久は第十三代将軍、 足利義輝から出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後の8ヵ国の守護に任ぜられるが、 1554年毛利元就の策謀もあり、横柄な態度が多く、 尼子晴久や重臣たちと対立の多い国久率いる新宮党を壊滅させ、 尼子晴久の政策の中央集権化に拍車をかける。
1555年晴賢元就に敗れ自害すると、 尼子晴久は石見国に侵攻。一度は奪われた石見銀山を奪取。 防衛拠点の山吹城主を本城常光に任せ、 以後何度も毛利軍の侵攻を受けるが、撃退する。 しかし、1560年十二月二十四日に尼子晴久は月山富田城内にて急死してしまう。

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