尼子義久

あまごよしひさ ( amago-yoshihisa )
1540 〜 1610


尼子義久 年表



尼子義久。父は晴久
尼子義久は1560年十二月に父の跡を継ぐが、 毛利元就軍石見銀山に侵攻。 これに対し尼子義久は、幕府仲介による和平をすすめるが、 元就に石見国への不干渉を条件に出され、承認した為、 抑圧されていた国人らが独立し、石見国の領国経営が困難となっていく。
九州北部を治める大友氏と同盟を結び、毛利氏に対抗するが、 1562年に石見銀山の防衛拠点の山吹城主、 本城常光毛利氏に寝返り、離反者が続出。 1564年、連絡や兵糧の拠点、伯耆国江美城が落城すると、 居城の月山富田城が孤立。抵抗するも兵糧攻めにあい、重臣の多くも離反。 1566年十一月二十八日、開城。 各地で抵抗していた諸将も降伏した。
その後、尼子義久は安芸国円明寺に幽閉され、 1589年に安芸国志道に居館を与えられる。 1596年、長門国阿武郡嘉年の五穀禅寺で剃髪して出家。有林と名乗り、 1610年に長門国で亡くなった。

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