天草四郎

あまくさしろう ( amakusa-shirou )
???? 〜 1638


天草四郎 年表



天草四郎。天草四郎の父は小西行長の遺臣、益田甚兵衛。 当初は益田時貞という。
肥後国宇土で育ち、学問を学ぶ。 また長崎でキリスト教に入信し、 受洗して「ジェロニモ」となる。 その後、四郎は父に連れられ島原、天草地方に移る。
しかし島原藩の松倉重政勝家の親子、 また、唐津藩の寺沢広高堅高の親子は、 失策による過度な重税や、キリスト教信者への重度の弾圧を行い、 農民やキリシタンのみならず、町人、商人、国人など領民の大多数の反感を買い、 1637年、キリシタンの間でカリスマ的存在だった四郎に、 この地方の領主、天草の名をつけ天草四郎を名乗らせ総大将にして反乱。 ここに領民、浪人、遺臣、キリシタンなどで構成される「島原の乱」が勃発。
これに対し島原藩は島原城に籠城。 領民に武器を与えるが、その武器で反乱に加わるものも続出。 その後も反乱軍は躍進を続けるが、討伐軍が迫っていることもあり、 廃城となっている旧有馬氏の居城、 原城を補修して天草四郎らは籠城。
この乱に幕府は板倉重昌を派遣して九州の諸藩による討伐軍を形成。 これに対して反乱軍は連戦連勝。ここで幕府は老中の松平信綱を派遣。 これを知った重昌信綱の到着前に突撃して戦死する。 信綱の到着後は兵糧攻めにあい、次第に兵糧、弾薬が尽きていき、 1638年二月二十八日、討伐軍の総攻撃が始まり原城は落城。 反乱軍のほとんどが討ち取られ、天草四郎も討死。 ここに約90日間に及ぶ籠城に終わりを告げる。

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