穴山信君

あなやまのぶきみ ( anayama-nobukimi )
1541 〜 1582


穴山信君 年表



穴山信君。父は信友。 母は晴信(信玄)の姉の南松院。 御一門衆。武田二十四将のひとり。梅雪とも。 晴信の娘の見松院を妻に迎える。
1561年川中島の戦いに穴山信君も参陣。 1568年から今川領の駿河侵攻に活躍し、 1575年に駿河国江尻城主となる。
しかし、信玄の後継者の勝頼とは合わず、 同1575年長篠の戦いで穴山信君は早々に撤退。 1582年織田信長甲州征伐が始まると、 穴山信君は江尻城に籠城するが、ほとんどが甲斐国に撤退してしまう。 それもあり、徳川家康の降伏勧告に対して所領の安堵と武田家の後継を条件に降伏。 同年六月信長への御礼の為、 家康と共に安土にて謁見するが、 本能寺の変に遭い、帰国中の山城国で土民に殺された。
その後、子の勝千代が跡を継ぐが、1587年に急死し、断絶する。

他の戦国武将歴史年表を探す


楽天で穴山信君 グッズ

穴山信君 グッズ

穴山信君