朝倉宗滴

あさくらそうてき ( asakura-soteki )
1477 〜 1555


朝倉宗滴 年表



朝倉宗滴。七代目の朝倉孝景の末子。教景とも。
1503年、兄の朝倉元景(景総)が、 敦賀郡司の朝倉景豊と共に謀反する話を宗滴にも持ち込むが、 宗滴は当主の朝倉貞景に密告し、 先に敦賀城を攻めて景豊を自害させる。 その功により、宗滴は敦賀郡司に就任。
1506年に越前国で一向一揆が起こると、宗滴は総大将として出陣。 また、戦わずに加賀国に逃走した元景同年、 一向一揆の協力を得て越前国に攻め寄せるが、 総大将として九頭竜川にて対峙、返り討ちにする。
1517年には若狭守護の武田氏を援助し、 若狭の逸見氏と丹後守護代の延永氏の反乱を鎮圧。 1525年には近江国小谷へ出陣し、 浅井亮政をよく助け、のちの同盟の基盤を作る。 1527年には京都へも出陣するなど、宗滴の活躍により朝倉氏は地盤を固めていく。
1531年、加賀国へ出陣。湊川を越えて一向一揆と戦い、 1544年には美濃国の斎藤義竜を援けて、 尾張国の織田信秀を破る。 また、1555年には越後国の長尾景虎 (上杉謙信)川中島出陣に呼応して、 加賀国へ出陣し、南郷津葉千足の城を落とすが、 陣中で病に倒れ、同1555年九月八日に亡くなってしまう。

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