朝倉義景

あさくらよしかげ ( asakura-yoshikage )
1533 〜 1573


朝倉義景 年表



朝倉義景。越前の大名朝倉孝景の子。幼名孫次郎。 義景と名乗るのは将軍足利義輝から義の字を賜ってから、それまでは孫次郎延景。 祖先は日下部氏。平安末期の宗高のときに朝倉姓を名乗る。
朝倉義景は、1555年加賀一向一揆討伐のため出兵、加賀半国を占領。 1564年にも加賀へ出兵。 1565年将軍足利義輝が暗殺されると、 1567年義景を頼る義輝の弟、 一条院覚慶(足利義昭)を一乗谷に迎え、 翌1568年に朝倉館で元服させる (同年義昭はいつまでも上洛しない義景を見限り、織田信長の下へ向かう)
信長と対立後の1570年信長に義景が領する敦賀郡天筒山、金ヶ崎の二城を落とされるが、 近江浅井長政信長に軍を差し向け、 (浅井氏は朝倉と長年同盟関係、信長とは婚姻関係)信長は兵を引き返す。 このとき義景は追撃し、美濃を攻めようとするが、うまくいかない。
同年、義景は浅井氏と連合。 近江姉川にて 織田 徳川連合軍と戦い、大敗するが、 のちに堅田口にて戦ったときはこれを退け、京都に迫る。 しかし、将軍義昭の調停で信長と講和している。
1573年近江に信長が侵攻。 義景は、浅井長政を助けるため近江に出兵するが、 越前への通路を断たれようとしたため、兵を反す。 これを信長に追撃され敗れ、一乗谷、ついで大野庄に逃れるが、 家臣朝倉景鏡に裏切られ、賢松寺にて自害。

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