足利成氏

あしかがしげうじ ( ashikaga-shigeuji )
1438 〜 1497


足利成氏 年表



足利成氏。父は第四代鎌倉公方足利持氏。 父と関東管領の上杉憲実の対立から、 1438年永亨の乱が起こるが、敗れて自害。鎌倉公方は途絶える。
しかし、1441年に室町幕府第六代将軍の足利義教が暗殺され、 鎌倉公方再興の機運が高まり、旧臣、そして敵対勢力からも支持され、 1449年に成氏が第五代目に就任。 補佐役に関東管領、上杉憲忠が就任する。
しかし室町幕府の対応は冷たく、 積もり積もった成氏は1454年に関東管領、上杉憲忠を謀殺。 1455年武蔵国分倍河原で成氏は上杉軍を破るが、 幕府が駿河守護の今川範忠を派遣するなど攻勢に出ると、 鎌倉を放棄し、下総国古河を拠点とする。 これにより古河公方が誕生する。
これに対し第八代将軍の足利義政1458年、 兄の足利政知を伊豆に派遣して堀越公方とする。 これにより亨徳の乱と呼ばれる三十年もの抗争が始まることになるが、 幕府は将兵を派遣するも統率が上手くいかず、 1467年応仁の乱が勃発したため、 それどころではなくなり、上杉の内紛もあり、 足利成氏は1478年上杉氏と和睦が成立。 さらに越後守護の上杉房定が管領の細川政元にはたらきかけ、 政元仲介の下、 1483年に幕府との和睦が成立する(都鄙合体)

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