足利義晴

あしかがよしはる ( ashikaga-yoshiharu )
1511 〜 1550


足利義晴 年表



足利義晴。第十一代将軍の義澄の子。 1511年に父が近江国に下向したときに生まれ、 1514年に播磨国の赤松義村が庇護、養育する。
1521年、 管領の細川高国と対立中の第十代将軍の義稙が京都から出奔すると、 高国に迎えられ、足利義晴が第十二代将軍に就任。 高国に殺された香西元盛の兄、 波多野稙通らが、1527年三好元長細川晴元らと結び、 高国軍と桂川で対峙。 高国は敗れ、足利義晴は共に近江国に逃れる。
元長晴元ら擁立されて、 弟の義維が堺公方と呼ばれるようになるが、1532年元長晴元によって自害に追い込まれ、 義維は阿波国に戻る。 そのため1534年、 足利義晴は六角氏の仲介により晴元と和解し、帰京。 この後、足利義晴は晴元と対立し近江国に下向。和解して帰京を繰り返す。
1546年晴元を除こうとするが敗れ、近江国坂本に逃れると、 子の義輝を元服させて第十三代将軍に就任させ、足利義晴は後見人となる。 1549年には晴元に味方して、 三好長慶らと戦うが敗れ、近江国朽木に逃れ、 1550年に近江国坂本、穴太へ移動するが、足利義晴は病にて亡くなってしまう。

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