足利義政

あしかがよしまさ ( ashikaga-yoshimasa )
1436 〜 1490


足利義政 年表



足利義政。第六代将軍の義教の三男。 母は日野重子。 祖父は第三代将軍の義満
1441年、父が暗殺されると兄の義勝が即位するが、 1443年に早世。 管領の畠山持国らに後見され、わずか八歳で家督を相続。義成と名乗る。 1449年に元服して第八代将軍に就任。足利義政と名乗る。 しかし政治の主導権は母や妻の日野富子、その兄の勝光や、 守護大名たちが握っていて思うようにいかなかった。
1455年に鎌倉公方の足利成氏が、 関東管領の上杉憲忠を暗殺すると、 関東一帯で享徳の乱と呼ばれる大乱に派生する。 これに対し義政は異母兄の政知を堀越公方とし、近隣の将兵を派遣するが、 統率が取れず鎮めることが出来ないでいた。 そんな中、1461年には寛正の大飢饉により、京都にも大きな被害がもたらされる。
1464年、足利義政は子に恵まれず、 後継者として弟の義視を還俗させて養子とすると、 翌1465年富子義尚を出産。 これに富子が欲を出し、山名宗全と手を組み、 対する義視は管領の細川勝元と手を組むことで、 1467年応仁の乱へと派生していく。
当初、足利義政は中立であったが、失脚中の伊勢貞親を呼び寄せ、 これに対し義視が西軍についたこともあり、 次第に足利義政は勝元の東軍を支持していく。 しかし1473年宗全勝元が亡くなり、 足利義政は将軍職を義尚に譲り隠居。
それからの足利義政は東山に移り、文化活動を重んじるようになる(東山文化)1482年から東山山荘の造営をはじめるが、 銀閣寺の完成前の1490年一月に亡くなってしまう (銀閣寺は同年二月に完成)

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