足利義稙

あしかがよしたね ( ashikaga-yoshitane )
1466 〜 1523


足利義稙 年表



足利義稙。足利義稙の父は義視。はじめ義材と名乗る。
1473年応仁の乱が収まり、 1475年に父と元八代将軍の義政が和睦。 1477年に父と共に美濃国守護の土岐成瀬の下に向かう。
1487年に子がいない第九代将軍の義尚の養子となり、 1489年義尚が亡くなると、 1489年に父と共に上洛するが、 元々は対立していた義政の妻の日野富子らとの関係が悪化。 1490年に第十代将軍に就任すると、 1491年畠山政長と政務に努め、 近江国の六角高頼を討伐して追放するが、 1493年畠山義豊の討伐で河内に出陣中に、 富子細川政元らに義澄を第十一代将軍に擁立され、 政長は敗れて自害。義材は幽閉されてしまう。
同年京都を脱すると、 政長の領国の越中国に逃れ、名を義尹と改める。 1498年朝倉貞景らの協力で上洛を目指すが、 近江国の六角高頼に敗れ、周防国の大内義興を頼る。
1507年の細川家分裂に伴い、 翌1508年大内軍と共に上洛を開始。 細川高国の援護もあり、 義澄細川澄元を追放し、再び将軍になり、足利義稙と名乗る。
その後、足利義稙は高国との仲が険悪になり、 1521年に足利義稙は堺に出奔。 それからは阿波国に下り再起を計るが、1523年四月九日に足利義稙は亡くなってしまう。

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