足利義輝

あしかがよしてる ( ashikaga-yoshiteru )
1536 〜 1565


足利義輝 年表



足利義輝。剣豪として名高い足利幕府第十三代将軍。 父は十二代義晴。幼名菊童丸。 初代は足利尊氏。 清和源氏源義家の子義国の後裔。
義輝は元服の頃、義藤と名乗る。 1546年、 父足利義晴管領細川晴元と対立。義輝は共に近江坂本に下りる。 同年十二月義晴が将軍職を辞退し、足利義輝が将軍職に就く。
1548年父と共に帰洛。晴元の元へ向かうが、 その頃細川氏綱を管領にと、 企む三好長慶との抗争に晴元が敗れ、 翌年、再び近江坂本に逃れる。
1552年六角義賢の調停により 長慶と和睦し、帰洛。 長慶を御供衆とし、氏綱を管領に任じる。 翌1553年晴元が戻り、 晴元側に属し、再び長慶と対立、近江朽木に逃れる。
1558年長慶と交戦、その後講和して入洛。
その後、将軍権威の回復に努め、 武将織田信長長尾景虎(上杉謙信)上洛時の接見。 上杉 武田毛利 大友の講和など、義輝は職務を積極的におこなう。
しかし1565年五月十九日松永久秀三好義継(長慶の跡継ぎ)三好三人衆に二条御所を急襲され、奮闘するが敗れ、自害。
足利義輝の在位期間は1546〜1565の二十年間。

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