足利義澄

あしかがよしずみ ( ashikaga-yoshizumi )
1479 〜 1511


足利義澄 年表



足利義澄。父は堀越公方の政知1487年に上洛。出家して清晃と名乗る。
1489年に第九代将軍の義尚が亡くなると、 後継者として名が挙がるが、 義尚の母の日野富子らの推挙もあり、 義材(のちの義尹、義稙)が第十代将軍に就任。
しかし、義材の父の義視富子は、 応仁の乱で敵対したこともあり仲が悪かったため、1493年義材畠山義豊の討伐で河内に出陣中に、 富子細川政元らによって第十一代将軍に就任させられるが、 実権は彼らが握っていた。
1507年政元が暗殺されると、細川家が分裂。 それに乗じて1508年、 周防国の大内義興の所に下向していた十代目の義尹が上洛を開始すると、 足利義澄は近江国の六角定頼の下に逃れる。 その後、足利義澄は細川澄元らと再起を計るが敗れ、 1511年八月十四日に足利義澄は亡くなってしまう。

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