蒲生定秀

がもうさだひで ( gamo-sadahide )
1508 〜 1579


蒲生定秀 年表



蒲生定秀。近江国の国人。父は高郷。 当主は父の兄の子の蒲生秀紀
南近江に位置し、父と共に六角氏に従う。 以前から家督を欲していた父は1522年六角氏の支援を受けて秀紀に謀反。 降伏させて家督を移譲。定秀が十七代目となると、 1525年秀紀を暗殺。
その後も六角氏に従い1531年浅井亮政との戦いなどで活躍し、各地を転戦。 1549年には摂津国で三好長慶と戦う。
1558年に出家し、 1559年には浅井久政佐和山城を攻める。 1562年には徳政令を敷くなど内政面にも才を発揮するが、 1563年、当主の六角義治が、 重臣の後藤賢豊を暗殺する「観音寺騒動」が起こる。 家臣団が揺らぐ中で蒲生定秀はその調停に務め、 1567年制定の「六角氏式目」に連署する。
1568年六角氏が没落すると、 蒲生定秀は織田信長に仕える。

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