堀尾吉晴

ほりおよしはる ( horio-yoshiharu )
1544 〜 1611


堀尾吉晴 年表



堀尾吉晴。父は堀尾泰晴。尾張国の生まれ。
吉晴は織田信長に仕え、のちの豊臣秀吉に付属されて功をあげ、 1573年、近江国長浜に百石与えられる。 堀尾吉晴はそれからも功を重ねて播磨国姫路千五百石。丹波国黒江に三千五百石と加増。 1582年の備中国高松城攻めや、 山崎の戦いでも功をあげて丹波国氷上郡内に六千二百八十四石。 1583年には若狭国高浜一万七千石。1584年には二万石に加増。 1585年には近江国佐和山四万石に移封される。
堀尾吉晴は1587年九州征伐1590年小田原征伐に従軍。 山中城を攻略するが、長男の金助が没してしまう。
吉晴は戦後に豊臣姓を許され、遠江国浜松城主十二万石に封じられ、 生駒親正中村一氏と共に三中老を勤める。 秀吉の没後は徳川家康に接近。 石田三成らとの関係を調整。1599年に家督を二男、 堀尾忠氏に譲り隠居。堀尾吉晴は越前国府中に五万石の隠居料を与えられる。
1600年関ヶ原の戦いでは、 家康の東軍に属し、浜松から帰国途中の三河国池鯉鮒にて水野忠重加賀井重望と宴会中に重望忠重を殺害。 堀尾吉晴も傷を負うが討つ。
1604年忠氏が没すると、 吉晴は孫の堀尾忠晴を後見する。

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