細川晴元

ほそかわはるもと ( hosokawa-harumoto )
1514 〜 1563


細川晴元 年表



細川晴元。父は澄元
1520年、 父が細川高国と嫡流である京兆家の家督争いに敗れて阿波国に退去。 まもなくして病没。細川晴元が跡を継ぐ。
1526年細川尹賢の讒言を信じた高国が家臣の香西元盛を殺害すると、 元盛の兄、波多野稙通柳本賢治が丹波国で挙兵。 晴元は三好元長らと阿波国で挙兵。 合流して1527年桂川にて高国を破ると、 高国は第十二代将軍、足利義晴と共に近江国に逃れる。
細川晴元は和泉国堺に義晴の弟、 足利義維を将軍として迎えて堺公方を創り、1531年、 摂津国天王寺にて高国を破り自害させて仇を討つが、 細川晴元は義晴と和睦。このため元長と対立。 1532年、 晴元は木沢長政や一向一揆の力を借りて元長を敗死させ、 法華一揆の力を借りて増長する一向一揆を鎮圧。 今度は近江国の六角定頼の力を借りて法華一揆を鎮圧する。
1543年高国の養子、 細川氏綱が和泉国にて挙兵。鎮圧するも再挙兵されて敗走。 1547年、細川晴元は元長の子、 三好長慶と共に鎮圧。1548年長慶は長らく争っている三好政長の討伐を求めるも細川晴元は拒否。 そのため長慶氏綱を擁立して挙兵。 長慶らに敗れて近江国に逃れ、 足利義輝を第十三代将軍に擁して争うも度々敗れ、 1561年長慶と和睦するも細川晴元は摂津国普門寺に隠棲させられてしまう。

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