細川藤孝

ほそかわふじたか ( hosokawa-hujitaka )
1534 〜 1610


細川藤孝 年表



細川藤孝。父は三淵晴員。兄に三淵藤英
1540年、父の兄で和泉上守護家当主、細川元常の養子となり、 1554年に跡を継ぐ。 細川藤孝は幕臣として第十三代将軍、足利義輝に仕えるが、1565年三好三人衆松永久秀らより義輝が討たれてしまう。 細川藤孝らは幽閉されている義輝の弟、 のちの足利義昭を脱出させ、越前国の朝倉氏などに上洛を促すも叶わず、 織田信長の助力を得て1568年、共に上洛。 細川藤孝は大和や摂津の国など転戦する。
義昭信長が対立すると細川藤孝は信長に従い、 1573年義昭が追放されると山城国長岡を与えられて長岡藤孝と名乗り、 山城国淀城の戦いなど転戦。その後、明智光秀の与力となり、 1577年の大和国信貴山城の戦いなどに従軍して活躍。 丹後国南部を与えられて宮津城を居城とする。
1582年本能寺にて光秀信長を殺害。 藤孝は光秀からの要請を断り、剃髪して幽斎と号して嫡子、 細川忠興に家督を譲り、羽柴秀吉に従う。 1586年に在京料として山城国西ヶ岡に三千石与えられ、 1587年九州征伐などに従軍する。
1598年秀吉が没すると徳川家康に接近。 1600年家康を討つべく石田三成が挙兵するが、 家康に属して丹後国田辺城に籠城。 大軍を相手に二ヶ月争い、関ヶ原の戦いの二日前に講和。城を明け渡す。
細川藤孝は武芸、文芸に精通し、当時一流の教養人として知られ、 母が第十二代将軍、足利義晴の子を身ごもってから晴員に嫁ぐ落胤説もある。

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