細川勝元

ほそかわかつもと ( hosokawa-katsumoto )
1430 〜 1473


細川勝元 年表



細川勝元。京兆家、持之の嫡男。足利氏の支流。 弟に成賢(父の弟、持賢の養子へ)
幼名、聡明丸。1442年の父の没後、持賢に後見されて家督を継ぎ、 摂津、丹波、讃岐などの国の守護に就く。
1445年から1449年まで管領に就任。 1447年山名持豊 (宗全)の養女を正室に迎えて手を組み、 政敵、畠山持国と対抗。信濃、加賀、大和の国の争いに介入する。
1452年から1464年まで管領に就任し、1454年畠山氏の内紛に介入して持国を失脚させ、 赤松氏の再興を助けるが、 これにより赤松氏の旧領を治める宗全との関係が悪化。 斯波氏の家督争いに介入して争い、1466年細川政元が誕生すると養子に迎えていた宗全の子、 山名豊久を仏門に入れてしまう。
足利義尚の誕生により将軍家でも後継者争いが始まり、 義尚畠山義就斯波義廉を支持する宗全と、 足利義視畠山政長斯波義敏を支持する勝元に分かれて1467年応仁の乱が勃発。細川勝元は東軍の総大将として争い、 1468年から管領に就任。養子の細川勝之や分家の細川氏と共に戦うが、 決着はつかず戦乱は次第に地方へと拡大し、1473年宗全の病没後、後を追うように勝元も病没する。

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