細川政元

ほそかわまさもと ( hosokawa-masamoto )
1466 〜 1507


細川政元 年表



細川政元。京兆家、細川勝元の嫡男。足利氏の支流。
1467年、 父の率いる東軍と山名宗全の率いる西軍に分かれて争われた応仁の乱1473年宗全、父と相次ぎ病没。 細川政元は家督を継ぎ、一族である典厩家の細川政国に後見され、 1474年に西軍大将、山名政豊と和睦して乱を治める。
1489年、第九代将軍、足利義尚が六角氏討伐中に近江国で病没すると、 細川政元は足利義澄を推挙するが、 日野富子畠山政長足利義材 (義稙)を第十代将軍に就任させ対立。 修験道に凝り独身を貫くため1491年九条政基の子、 澄之を養子に迎える、
細川政元は同年六角氏討伐1493年政長の進言による畠山義豊討伐の軍事遠征に反対するが、 義材は無視。これらもあり日野富子らと共に義材を追放。 政長を滅ぼすと、1494年義澄を第十一代将軍に擁立。 自らは管領となり半将軍と呼ばれるほど幕府の実権を握る。
義材に加担する比叡山延暦寺を焼き討ち。 畠山氏の大和国に侵攻するなどして勢力を拡大。1503年、 一族の阿波守護家から澄元を養子に迎えて澄之を廃嫡するなどしたため、 家中が分裂。このため1507年、 行水中に澄之に属する香西元長らに殺されてしまい、 細川政元の代で嫡流の血が途絶える。

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