細川忠興

ほそかわただおき ( hosokawa-tadaoki )
1563 〜 1645


細川忠興 年表



細川忠興。細川藤孝の長男。
一族の奥州家、細川輝経の養子となるが、忠興は藤孝と共に行動し、 織田信長信忠の親子に仕え、 1577年の大和国信貴山城の戦いなどに従軍。
細川忠興は1578年明智光秀の娘、 玉子を正室に迎えるが、1582年本能寺にて光秀信長を殺害。 忠興らは光秀からの要請を断り、妻を幽閉。父の隠居により家督を継いで丹後国宮津城主となる。 羽柴秀吉に従い、一色氏を滅ぼして丹後国を平定。知行を十二万石とし、 1584年小牧、長久手の戦い1587年九州征伐1590年小田原征伐1592年文禄の役などに従軍。
1598年秀吉が没すると、 細川忠興は徳川家康と通じ、1600年、豊後国杵築六万石を加増。 関ヶ原の戦いで細川忠興はいち早く家康の東軍に属すが、 玉子が西軍の人質になるのを拒否して自害。 戦後、豊前国中津に加増転封。杵築の六万石と合わせて三十九万九千石を領して初代小倉藩主となり、 1620年に嫡子、忠利に家督を譲り隠居。出家して三斎と号する。
細川忠興は戦上手で政治力にも優れるが、気性が荒くて気が短く冷徹。 大坂の陣にて大坂方に属す子の興秋を自害させるなど身内にも容赦ないが、 千利休に師事し、利休七哲のひとりに数えられるなど文化、教養にも通じる。

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