細川忠隆

ほそかわただたか ( hosokawa-tadataka )
1580 〜 1646


細川忠隆 年表



細川忠隆。細川忠興の長男。母はガラシャ。 正室は前田利家の娘、千世
父も祖父、細川藤孝も長岡姓を名乗っており、忠隆も長岡氏を称する。
1600年、 父と共に徳川家康会津征伐に従軍。 石田三成家康を討つべく挙兵すると、 石田方の西軍は母に対して人質になるよう要求するが、拒否して自害。 千世らは逃されるのだが、これに父が激怒。 離縁するよう迫るも忠隆は拒否。勘当され、1604年に廃嫡されてしまう。
剃髪して休無と号し、京都の祖父を頼り蟄居。妻とも離縁。 京都で文化人としての地位を高め、1626年に勘当を解かれるがそのまま京都に残り、やがて父と和解。 熊本に住むよう促されるが、固辞して京都に残る。

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