細川高国

ほそかわたかくに ( hosokawa-takakuni )
1484 〜 1531


細川高国 年表



細川高国。父は野州家、政春。 弟に晴国通政
嫡流の京兆家当主、 細川政元九条家から澄之を養子に迎えて嫡子とするが、 1503年に廃嫡。細川澄元が養子に迎えられて嫡子となる。
更に細川高国も養子に迎えられて家中が分裂。1507年澄之に属する香西元長薬師寺長忠らが政元を殺害。 澄元も襲われて近江国に逃れるが、 細川高国は澄元に属して澄之らを滅ぼし、 澄元に家督を継がせる。
この混乱に乗じて周防国の大内義興が前将軍、足利義稙を奉じて上洛。 細川高国はこれに協調して澄元と対立。1508年、近江国に追放し、 義稙から家督の継承を許され管領に就任。1511年足利義澄澄元らの軍勢により高国は一時丹波国まで逃れるが、 船岡山にて破る。
1519年澄元の軍に連破されて高国が近江国に逃れると、 義稙の内通により家督を奪われるが、反撃して三好之長を敗死させ、 澄元を阿波国に追放。まもなくして病没。 細川高国は義稙を廃して義澄の子、 足利義晴を第十二代将軍に擁立する。
1526年、高国は父の弟の子、 細川尹賢の讒言を信じて家臣の香西元盛を殺害。 これにより元盛の兄、 波多野稙通柳本賢治が丹波国で挙兵。 更に澄元の子の晴元と、 之長の孫の三好元長が阿波国で挙兵。1527年桂川にて敗れ、細川高国は義晴と共に近江国に逃れ、 備前国の浦上村宗により京都に戻るも1531年、 摂津国天王寺にて敗走。細川高国は捕まり自害させられる。

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