池田光政

いけだみつまさ ( ikeda-mitsumasa )
1609 〜 1682


池田光政 年表



池田光政。幼名は新太郎。はじめは幸隆と名乗る。 播磨国姫路藩主二代目、利隆の長男。 祖父は輝政。父の弟は備前国岡山藩主の忠継
1613年、 父が岡山藩に十万石分与して四十二万石となる(岡山藩は三十八万石)1616年、七歳で跡を継ぐが、幼少を理由に因幡国鳥取藩三十二万石に減封される。 1623年に元服。 第三代将軍の徳川家光から一字賜り、池田光政と名乗り、従四位下、侍従に叙任。 1626年には家光の上洛に伴い、左少将に叙任。 池田光政は1628年、第二代将軍の秀忠の孫娘であり、 本多忠刻の娘を娶る。1632年忠継の子の忠雄が亡くなり、 その子で三歳の光仲が岡山藩主となると、 またも幼少を理由に国替え。光仲と領地を交換し、池田光政は岡山藩主となる。
それからの池田光政は熊沢蕃山を招聘して儒学に力を入れ、 1641年に全国初の学校、花畠道場を設立。 1669年に藩校となり、閑谷学校を開き、 質素倹約を旨とする「備前風」を広める。 また池田光政は、国学の朱子学ではなく、心学を藩学とし、 神道を中心として、寺院や神社を整理。 農民の差別を無くし、少しだけ税を上げた時もあったが、 租税を減らすことはあっても、増税をして農民を苦しめることはしなかったという。
財政難が続いたが、弓の名手で文武両道な池田光政は、 水戸藩主の徳川光圀や、会津藩主の保科正之らと 「三名君」と称されている。

他の戦国武将歴史年表を探す

池田光政 グッズ

池田光政 グッズ

池田光政