今川氏真

いまがわうじざね ( imagawa-ujizane )
1538 〜 1614


今川氏真 年表



今川氏真。父は義元。 母は武田信虎の娘。
今川氏真は1554年北条氏康の娘、 早川殿を妻に迎えて三国同盟が成立。 それにより1558年には駿河国や遠江国の領国経営を委ねられるようになる。
しかし1560年桶狭間の戦い織田信長に敗れて父が戦死すると一変。 多くの重臣や国人を失ったことを含め、今川家へのこれまでの不満が爆発。 西三河では徳川家康が独立し、信長と同盟。 氏真は領土安定に努めるが、人質を求めるなどしてさらなる反発を招き、 東三河でも家康への加担が増加。 1562年には今川氏真が出陣するが、三河国を手放すことになってしまう。
遠江国では1563年小野道好の讒言を信じて井伊直親を殺害。 1564年には飯尾連竜の妻が井伊直平を毒殺。 連竜家康と通じて反旗を翻し、 今川氏真は家臣に曳馬城を攻めさせるが返り討ちにあう。 その後和議を結び1565年連竜夫妻を謀殺。 1566年に混乱が収束。楽市を実施するが、 1568年、甲斐国の武田信玄が同盟を一方的に破棄し、駿河国に侵攻。 今川氏真も出陣するが、国人の裏切りが相次ぎ敗走。 今川氏真は駿河国を手放し、遠江国掛川城を守る朝比奈泰朝を頼る。 掛川城家康に攻められるが、半年近く奮戦。 北条氏康の援軍が武田勢を足止めするも信玄は遠江国に侵攻。 これに対し家康と和睦。氏真は家臣の助命を条件に開城。今川家は没落する。
それからの今川氏真は北条氏を頼り武田氏に対抗するが、 1571年氏康が亡くなり、 氏政の代になると武田氏と同盟した為、 家康を頼り、江戸幕府が開かれるとのちに高家として家名を残す。

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