今川義元

いまがわよしもと ( imagawa-yoshimoto )
1519 〜 1560


今川義元 年表



今川義元。今川氏親の三男。 今川義元は幼少時に出家させられ梅岳承芳と名乗る。 1536年に長男氏輝が亡くなり、 志太郡花倉遍照光院に出家した異母兄の玄広恵探との間で、 のちに花倉の乱と呼ばれる家督争いが勃発。 承芳は玄広恵探派を破り家督を継ぎ、還俗して今川義元と名乗る。
1537年武田信虎 (信玄の父)の娘を娶り、武田氏との対立を解消するが、 そのため北条氏との同盟関係が悪化。 そのため、北条氏の駿河侵攻を許すが、 1545年義元は上杉朝定憲政 と通じて北条氏康を挟撃、駿河を取り戻す。
1548年松平竹千代(徳川家康) を人質として迎えるが、1550年竹千代の父松平広忠が亡くなると、大軍を送り三河を平定している。
1554年、善徳寺において北条今川武田の婚姻関係による三国同盟が成立。 後方の憂いを解消した今川義元は、1560年五月上京すべく 若き領主織田信長の治める尾張に侵攻。 信長「うつけ」と聞いた義元は、 尾張は楽だと油断。そのため十九日、尾張桶狭間で休憩。 そこを信長に奇襲され、討死してしまう。

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