伊奈忠次

いなただつぐ ( ina-tadatsugu )
1550 〜 1610


伊奈忠次 年表



伊奈忠次。父は忠家。 三河国の生まれで、徳川家康に仕える。
1563年、父が三河一向一揆に加わり出奔。 その後、1575年長篠の戦いに従軍。 伊奈忠次は功をあげて帰参を許され、 家康の子の信康に仕えるが、 1579年信康が謀反の疑いで自害させられると再び出奔する。
1582年本能寺の変が起こると、 当時堺に移っていた伊奈忠次は家康伊賀越えに従う。 これにより帰参を許され、共に従っていた小栗吉忠の同心となる。
それからの伊奈忠次は検地、年貢、知行など内政面で才能を発揮し、 吉忠の跡を継ぎ奉行職に就くと、 豊臣秀吉による1590年小田原征伐や、 1592年1597年朝鮮派兵などの準備全般を担うことになる。
また1590年家康が関東に入ると、 伊奈忠次は武蔵国足立郡小室、鴻巣に一万石を賜り、 検地や知行、利根川や荒川の治水工事などを行う。これらの業績が非常に大きく、のちに開かれる江戸幕府の財政基盤となる。 この忠次のやり方は「伊奈流」とか、 当時の官職の備前守から「備前検地」「備前堤」などと称されて幕府の基本政策となり、 農民の生活にも関与。民からも大いに慕われた。

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