伊東義祐

いとうよしすけ ( itou-yoshisuke )
1512 〜 1585


伊東義祐 年表



伊東義祐。はじめ祐清。父は宗家七代目の尹祐。 母は福永祐炳の娘。
1523年、父が陣中で亡くなってしまい、 兄の祐充が跡を継ぐと、 祐炳の専横が始まり対立勢力の粛清が始まるが、 1533年に兄が亡くなってしまい、父の弟の祐武に討たれる。 しかし家督を狙う祐武も祐清らを擁立する荒武三省らの軍に敗れて自害。
こうして内乱は収まるのだが、 祐清を嫌う長倉氏は弟の祐吉に跡を継がせてしまい、 出家させられる。しかし1536年に弟が亡くなってしまい十代目となると、 1537年には従四位下に叙任され、第十二代将軍、 足利義晴から一字賜り、伊東義祐と名乗り、 1546年、伊東義祐は従三位に叙任される。
それからの伊東義祐は日向国南部に侵攻し、度々島津氏と対立。 1568年飫肥城を攻略。最大の版図を築くが、 伊東義祐は京文化に傾倒してしまい、良臣を遠ざけるようになる。
1572年島津義弘の軍に大敗してから勢力が衰退し、 1576年高原城島津義久に落とされ、 家臣の離反も相次ぎ、 1577年、伊東義祐は婚姻関係のある豊後国の大友宗麟を頼り、 居城の佐土原城から逃れ、 1578年、伊予国の河野氏を頼り、 1582年、播磨国で伊東義祐は羽柴秀吉に従うが、 1585年、伊東義祐は病に侵され、堺で亡くなってしまう。

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