甲斐宗運

かいそううん ( kai-souun )
1515 〜 1585


甲斐宗運 年表



甲斐宗運。父は親宣。肥後国の阿蘇氏に仕える。
名を親直といい、1541年島津氏に内通した肥後国御船城主、 御船房行を討ち、御船城主となる。大友氏相良氏と同盟を結ぶことで阿蘇氏の勢力を維持し、 1562年に出家。甲斐宗運と改め、1565年、 離反を謀る同族の守昌隈庄城を攻め、追放する。
1578年大友氏耳川の戦いで敗れると、 肥後国の国人は島津氏龍造寺氏に従うようになり、 侵攻してくる隈部氏名和氏らを撃退するが、 1581年、人質を送り龍造寺氏に従う。 そのため島津氏に属する相良義陽と戦うことになってしまい、 義陽は退却せず、甲斐宗運は泣く泣く討ち取る。 その後の甲斐宗運は巧みな外交で両勢力の中、阿蘇氏の勢力維持に尽力する。
甲斐宗運は阿蘇氏への忠誠から、 伊東氏と接触する二男、三男、四男を誅殺。 長男の親英も誅殺されそうになる。 そのため孫娘に毒殺される説もあるが、 甲斐宗運の没後、長男は遺言に従わずに島津氏を攻撃。 反撃されて早々に降伏。阿蘇氏は没落してしまう。

他の戦国武将歴史年表を探す

甲斐宗運 グッズ

甲斐宗運 グッズ

甲斐宗運