亀井茲矩

かめいこれのり ( kamei-korenori )
1557 〜 1612


亀井茲矩 年表



亀井茲矩。父は出雲国の尼子氏に仕える湯永綱
1566年毛利氏により尼子氏が没落。 1573年、尼子再興軍に加わる。 亀井茲矩は因幡国私都城を任されるが、1575年、家臣の裏切りもあり落城。 再興軍は織田信長の家臣、羽柴秀吉に属して戦うようになり、 播磨国上月城を奪取するが、織田家の方針により孤立。 亀井茲矩は羽柴軍にいたが、上月城を毛利氏により攻略され、 当主の尼子勝久が自刃。
その後の亀井茲矩は秀吉に仕え、 1581年鳥取城攻めの功により、 因幡国鹿野城主を任されて一万三千五百石を賜り、 1587年九州征伐や、 1590年小田原征伐1592年文禄の役でも活躍。 1596年頃からは銀山経営や干拓、用水路の開設などに努める。
1600年関ヶ原の戦いで亀井茲矩は東軍に属し、加増。 三万八千石となり、鹿野藩の初代藩主となり行政面で才能を発揮。幕府朱印状を得てシャムとの交易を行う。
茲矩は山中鹿之助の養女、亀井秀綱の娘を娶り改姓。跡を継ぐ。

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