吉川広家

きっかわひろいえ ( kikkawa-hiroie )
1561 〜 1625


吉川広家 年表



吉川広家。毛利氏一族、元春の三男。 母は熊谷信直の娘。兄に吉川元長繁沢元氏
経信、経言と順に名乗り、 1570年尼子勝久による再興軍との戦いで父に従い初陣。 1583年毛利家の人質として、 豊臣秀吉の下へ向かい、のちに帰国。 1586年からの九州征伐にて父が病没。 翌1587年、当主の元長も病没してしまい、跡を継ぐ。 吉川広家と改名すると、秀吉の命で豊前国、肥後国の一揆鎮圧に努める。
1591年、伯耆、出雲、隠岐などの国に所領を与えられ、出雲国月山富田城主となり、 1592年からの朝鮮征伐にも従軍し、活躍。 1597年蔚山城の戦いにて救援に向かい、包囲している敵軍を撃退。 1600年関ヶ原の戦いでは主君、 毛利輝元安国寺恵瓊らにより西軍総大将にされてしまうが、 東軍の勝利を確信していた吉川広家は、 福原広俊と共に徳川氏に所領安堵を訴え続け、 本戦にて毛利軍の行動を抑制し、戦わずに離脱させる。 当初は吉川広家に周防、長門の国を与えられ、毛利氏は改易になる予定であったが、 吉川広家の嘆願により、毛利氏に所領が与えられ、吉川広家は岩国に三万石を与えられる。
しかし吉川家は冷遇され、毛利秀元の専横が強まり謀反を起こすと、 広家は主家を助けて秀元を失脚させる。

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