小早川隆景

こばやかわたかかげ ( kobayakawa-takakage )
1533 〜 1597


小早川隆景 年表



小早川隆景。安芸国、毛利元就の三男。幼名は徳寿丸。 兄に毛利隆元吉川元春
小早川家は竹原と惣領家の沼田があり、跡継ぎのいない竹原の興景が病没すると、 妻が毛利氏という縁もあり、 重臣らの要望と大内義隆の薦めにより養子となり、隆景と名乗る。 更に沼田では病弱で盲目の繁平が当主となると、 将来を危惧して義隆と父が共謀。 隆景の擁立派を支持して対立派を粛清し、1551年繁平の妹を正室に迎えて小早川家が統一される。
小早川隆景は水軍を率いて1555年厳島の戦いにおいて陶晴賢の水軍を破り活躍。 1563年隆元が没すると、 跡継ぎの毛利輝元を兄と共に補佐。 小早川隆景は主に政治、外交面で活躍し、水軍を率いて山陽地方を担当。1571年浦上宗景に同調した村上武吉の本太城を落とす。
足利義昭が逃れてきたこともあって織田信長の軍勢と争うようになり、 1576年、小早川隆景は石山本願寺へ兵糧を入れる為、 第一次木津川の戦いにて村上水軍と共闘して九鬼嘉隆の水軍を破るが、 1578年第二次木津川の戦いでは鉄甲船を率いる九鬼水軍に敗れてしまう。
その後の小早川隆景は豊臣秀吉に協力して1585年四国征伐で功をあげて伊予国を与えられ、 1586年からの九州征伐にも従軍し、 筑前、筑後の国と肥前国一郡を与えられるが、小早川隆景はあくまで毛利氏の家臣としての立場を守る。
1590年小田原征伐にも従軍。 1592年文禄の役でも活躍。 1594年秀吉から毛利氏への養子として、 羽柴秀俊ことのちの秀秋を迎える案を出されるが、 隆景は器量を危惧して小早川家の養子に迎えるようにし、跡継ぎの秀包には別家を立てさせる。 1595年、小早川隆景は五大老のひとりに任じられる。

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