近衛前久

このえさきひさ ( konoe-sakihisa )
1536 〜 1612


近衛前久 年表



近衛前久。公家。稙家の長男。
父の妹の夫で第十二代将軍、足利義晴から一字賜り晴嗣と名乗り、 1541年に従三位。その後も昇進し、権大納言、内大臣、右大臣を経て、 1554年に関白、左大臣。1555年に従一位に叙され、前嗣と改名。
上杉謙信が上洛すると近衛前久は1560年、共に越後国に下向。 関東平定に協力するが、1562年に都に戻り、1566年松平元康徳川家康と改名するのを援ける。 1568年織田信長に奉じられて足利義昭が上洛するが、 近衛前久は義昭と対立。朝廷から追放され、関白を解任されてしまう。 その頃に丹波や摂津の国を流寓。石山本願寺と縁をもつ。
義昭が京都から追放されると近衛前久は信長と親交を深めて九州に下向。 九州の諸大名と織田家の和議を図り、本願寺とも和議を結ばせる。 1582年本能寺の変が起こり信長が没すると出家して竜山と号すが、 羽柴秀吉らに加担を疑われ、近衛前久は浜松の家康の下へ逃れる。
近衛前久は和歌や連歌、有識故実。馬術や鷹狩りなどにも精通し、青蓮院流の書家でもあるという。

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