九鬼嘉隆

くきよしたか ( kuki-yoshitaka )
1542 〜 1600


九鬼嘉隆 年表



九鬼嘉隆。志摩国の豪族。五代目、定隆の三男。
兄で六代目の浄隆や、兄の子で七代目の澄隆を補佐するが、 北畠氏と結んだ志摩七党に居城の田城を攻められて朝熊岳に逃れる。
1568年頃織田信長の家臣、 滝川一益に誘われ、伊勢国侵攻に水軍を率いて参戦。 北畠氏を破り田城を取り戻し、九鬼嘉隆は織田家の家臣となる。 その後、九鬼嘉隆は志摩国で勢力を拡大し、家督を継いで八代目となり、 1574年長島一向一揆にも水軍を率いて参戦。 1576年石山本願寺に加担する毛利水軍との木津川口の戦いで敗れてしまうが、 信長の許可を得て「鉄甲船」を製造。 1578年、わずか六隻の鉄甲船は、 木津川口にて毛利水軍六百隻を破って勝利。 これにより九鬼嘉隆は志摩国に加えて摂津国野田、福島など加増され、三万五千石を領する。
1582年本能寺の変にて信長が没すると、 九鬼嘉隆は織田信雄に従うが、 1584年蟹江城の戦いにて、 一益の誘いをうけて羽柴秀吉に寝返り、 九鬼嘉隆は水軍大将として1587年九州征伐1590年小田原征伐1592年文禄の役などに参陣。
1597年に子の守隆に家督を譲り、隠居。 1600年関ヶ原の戦いで九鬼嘉隆は西軍に属し、 堀内氏善と共に鳥羽城を奪取。東軍に属する子と争う。 その後、徳川家康により九鬼嘉隆は助命を許されるのだが、 報せが届く前に、家臣の豊田の独断で切腹を促され、自害してしまう。
のちに九鬼嘉隆は、「海賊大名」と呼ばれるようになる。

他の戦国武将歴史年表を探す

九鬼嘉隆 グッズ

九鬼嘉隆 グッズ

九鬼嘉隆