黒田官兵衛

くろだかんべえ ( kuroda-kanbee )
1546 〜 1604


黒田官兵衛 年表



黒田官兵衛。黒田職隆の子、黒田孝高。のち如水。 豊臣秀吉の参謀として有名。姫路で生まれる。
黒田官兵衛は織田信長の配下の武将羽柴秀吉 (豊臣秀吉)中国征伐に協力。 1578年荒木村重が謀反すると、 信長方の使者となるが、捕らえられてしまう。 しかし、翌年荒木村重軍が滅亡し、救出。 また、1582年備中高松城の水攻めのときにも、 講和の使者の任につく。 そして同年本能寺の変の後の 明智光秀との山崎の戦いで戦功を挙げるなど、 秀吉の参謀として活躍。
その後は1585年四国征伐翌1586年九州征伐に従軍。 1589年に嫡子長政に家督を譲り、 翌1590年小田原の役1592年文禄の役1596年慶長の役などにも参陣。 活躍するが、官兵衛の才能を恐れる秀吉は、知行を豊前中津川に十二万石しか与えない (当時、直江兼続は山形に三十万石、石田三成は近江に約十九万石)
そして、1600年関ヶ原の戦いでは 子長政徳川家康に付き、 官兵衛は豊前で大友義統(宗麟の子)を破り、 その後、1604年三月二十日に亡くなった。

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