松前慶広

まつまえよしひろ ( matsumae-yoshihiro )
1549 〜 1616


松前慶広 年表



松前慶広。安東氏に従い、蝦夷地南部を治める六代目。 父は五代目の蠣崎季広
南条広継の正室である姉が1561年、 長兄の舜広と、次兄の元広を毒殺する事件が起こり 広継もろとも姉が処刑されると、 1583年、父の隠居により家督を譲られる。
1590年豊臣秀吉小田原征伐の後、 前田利家らに取り入り秀吉に謁見し、所領を安堵される。 1591年には九戸政実の乱に討伐軍として参戦。 1592年文禄の役では、 肥前国名護屋城にて秀吉に謁見して朱印状を賜り、 1593年に蝦夷の統一を果たす。
1598年秀吉が亡くなると、 徳川家康に接近し、 1599年「蝦夷地図」を献上。 姓を徳川家の旧姓の松平と、 前田家から一字ずついただき、 慶広は松前氏を名乗る。
松前慶広は1600年に長子の盛広に家督を譲るが、引き続き政務を執り、 1604年に慶広は初代松前藩主となる。 1608年盛広が亡くなると、 松前慶広はその長子の公広に継がせる。 1609年に松前慶広は蝦夷に流刑となった公家の花山院忠長を厚遇し、 のちに京文化をもたらし、また代々藩主は公家との婚姻が続き、格式を高めることとなる。

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