最上義光

もがみよしあき ( mogami-yoshiaki )
1546 〜 1614


最上義光 年表



最上義光。出羽山形城主最上義守の子。 祖先は足利氏の一族 斯波家兼の子兼頼
義時との間に家督相続問題があったが、 義光が最上家の家督を継ぎ、父最上義守は隠居。 弟義時を中野城主に就けることで解決。
しかし、1574年義光に反発する家臣等が義時を擁立。 伊達輝宗の後援もあり、義時は挙兵。 さらに父の最上義守はこの反義光派の中心となる。 これに対し伊達輝宗と和議を結び、義時を処断。
さらに反対勢力を各個撃破。 そのなかで1577年天童頼澄の天童城攻めは、 なかなか落とすことが出来ず苦労するも、義光に内応するものや、 天童配下の延沢氏が降り、頼澄を追放。
その後、上杉景勝伊達政宗らと争い、勢力が衰えつつある中、 1590年小田原攻め豊臣秀吉のもとに赴き、所領を安堵される。 1595年豊臣秀次秀吉から言われ無き謀反の罪で自害させられると、娘が側室ということで、謹慎を命ぜられた。 1600年関ヶ原の戦いでは東軍に属して、 結城秀康(徳川家康の二男)を援け、 上杉景勝と戦った功により、 出羽庄内を加えられ、五十七万石を領し、巧みに生き抜いた。

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