丹羽長秀

にわながひで ( niwa-nagahide )
1535 〜 1585


丹羽長秀 年表



丹羽長秀。尾張国春日井郡児玉の生まれ。長政の二男。
代々、斯波氏に仕えるが、 1550年から織田信長に仕える。 勇猛で各地を転戦し、1568年足利義昭を奉じての上洛時、 六角氏の近江国観音寺城攻めでも功をあげ、 1569年、丹羽長秀は明智光秀中川重政羽柴秀吉らとともに京都奉行に任ぜられる。
1571年、浅井家臣の佐和山城主、磯野員昌が降伏すると佐和山城主となり、 その後も各地を転戦。丹羽長秀は政治面などにも優れ、若狭国一国を与えられ、 1581年の京都御馬揃えでは一番に入城。 柴田勝家に続く二番家老の席次が与えられるなど厚遇。
1582年、丹羽長秀は信長の三男、 織田信孝を大将とする四国征伐の副将に命じられ、 徳川家康の接待役も命じられるが、本能寺の変が起こり、 信孝を補佐して津田信澄を討伐するも軍勢を集められず、 秀吉の軍に合流して明智光秀を討つ。
それからの丹羽長秀は秀吉に属して信長の嫡孫、 三法師を擁立。 1583年賤ヶ岳の戦いに従い、 柴田勝家が滅びると越前や加賀の国にも所領を与えられて百万石を超える大大名となるが、 1585年、胃癌により没してしまう。

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