織田信包

おだのぶかね ( oda-nobukane )
1543 〜 1614


織田信包 年表



織田信包。信秀の四男。
兄、信長による北伊勢侵攻により1568年長野氏で内紛が起こり1569年、 当主が追放され、織田信包が長野氏の養子に迎えられて家督を継ぐ。 同年北畠氏が降伏すると伊勢国安濃津城主に任じられ、 1576年に兄の二男、 信雄による北畠一族暗殺事件の後に復姓する。
また、1575年の越前国一向一揆戦や、 1577年紀州征伐石山合戦などに参陣。 1582年本能寺の変の後、 織田信包は羽柴秀吉に属して伊勢国安濃津に十五万石を領するが、 1590年小田原征伐に従軍し、 北条氏の助命を嘆願して秀吉の怒りをかい、 1594年に改易。剃髪して老犬斎と名乗り隠棲。 織田信包はのちに近江国に二万石与えられて秀吉に仕え、 1598年に丹波国柏原に三万六千石与えられる。
1600年関ヶ原の戦いで織田信包は西軍に属し、 丹後国田辺城を攻めるも罪を許されて所領を安堵。 大坂城にて豊臣秀頼を補佐するが、 1614年の大坂冬の陣の前に織田信包は吐血して倒れてしまう。
そのため片桐且元の毒殺説が囁かれたという。

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