織田信孝

おだのぶたか ( oda-nobutaka )
1558 〜 1583


織田信孝 年表



織田信孝。信長の三男。
1568年、 父による北伊勢侵攻に降伏した神戸具盛の養子となり、 1572年に家督を譲られる。 それからは1574年第三次伊勢長島一向一揆戦や、 1575年の越前国一向一揆戦、 1577年紀州征伐1578年荒木村重との戦いなどに従軍し、政治面でも活躍。 1582年、織田信孝は四国征伐の総大将を任され、 丹羽長秀津田信澄らを副将に付けられ大坂城で渡海の準備を行うが、 本能寺の変が起こり、明智光秀により父が亡くなってしまう。
織田信孝は光秀の縁者という理由で信澄を殺害。 羽柴秀吉と合流して総大将として山崎の戦いに臨み、 光秀を破るが、清州会議で後継者になることが出来ず、 家督を継いでいた長兄、信忠の子、 三法師の後見役となり美濃国岐阜城を与えられるが、 秀吉岐阜城を攻められ、 三法師を引き渡すと共に人質を取られてしまう。 しかし織田信孝は1583年賤ヶ岳の戦いにて、 柴田勝家と結び秀吉に対抗。 その為、次兄の信雄岐阜城を攻められ、 織田信孝は尾張国知多郡の大御堂寺にて自害する。
織田信孝は思慮深く、知勇兼備の将として評価は高かったとされている。

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