鬼庭綱元

おににわつなもと ( oniniwa-tsunamoto )
1549 〜 1640


鬼庭綱元 年表



鬼庭綱元。父は鬼庭良直伊達政宗に仕える。
1575年、鬼庭綱元は父の隠居により家督を譲られ、 1584年人取橋の戦いで父が討死してしまう。 鬼庭綱元は1586年に奉行職に任じられ、1588年岩城氏相馬氏の抑えとして陸奥国安達郡百目木城主となる。 1590年葛西大崎一揆が起こるが、 政宗による扇動の疑いを解くために京都へ赴き、豊臣秀吉と謁見。 1592年文禄の役では肥前国名護屋城に在陣。 鬼庭綱元は茂庭と改姓する。
その後も綱元は秀吉との交渉役を担うが、関係を政宗に疑われ、 隠居を迫られた上に不遇な目にあい1595年、出奔。 さらに政宗は他家への仕官を許さない奉公構を出し、 仕官も出来ず、1597年に許されて帰参。
1615年政宗の庶長子、 秀宗が伊予国宇和島藩十万石与えられると宇和島に移り藩政を補佐。のちに戻る。

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