大久保長安 年表
大久保長安。猿楽師の大蔵氏で、
父と甲斐国に訪れ、武田信玄に仕える。
長安は家臣として取り立てられると金山、銀山の鉱山開発など財政面を担当。
長安は信玄の跡を継いだ勝頼にも仕えるが、
1582年、織田信長の軍勢により滅亡。
同年、本能寺の変が起こり、
甲斐、信濃の国に侵攻してきた徳川家康の家臣、
大久保忠隣に取り立てられ、長安は名字を賜る。
それからも金山の才を発揮し、財政を支えると共に甲斐国の内政でも活躍。
1590年に家康が関東に入ると、
1591年に武蔵国八王子を与えられ、検地や治水工事で活躍。
1600年の関ヶ原の戦いの後、
徳川氏の天下となると内政面での活躍著しく、
大久保長安は甲斐奉行、石見奉行、美濃奉行、佐渡奉行などに務め、金山銀山を監督。一里塚などの交通整備を行う。
1613年に亡くなると派手好きが災いし、
勢力の巻き返しを謀る政敵の本多正信、
正純の親子の讒言により遺児七人が死罪となり、多くの者が改易。
大久保長安は家康に遺体を掘り起こされ処罰されてしまう。
他の戦国武将歴史年表を探す