大崎義隆

おおさきよしたか ( oosaki-yoshitaka )
1548 〜 1603


大崎義隆 年表



大崎義隆。始祖は源氏足利氏の一門で、 奥州探題を務めた斯波家兼。出羽国の最上氏は分家。
次第に勢力が衰退し、 父、義直の代には伊達氏への従属を余儀なくされる。 1577年に跡を継ぎ、1585年伊達輝宗が亡くなり、伊達政宗が跡を継ぐと周辺の勢力が次々と独立。 大崎義隆もこの機に乗じて独立を図る。
1587年に家臣同士が争い、 新井田隆景と対立した氏家吉継が援軍を要請し、 1588年、政宗の侵攻を受けるが、 祖父、義兼の娘を正室としている黒川晴氏が離反し、 伊達軍の背後を急襲。最上義光の援軍もあり、勝利を収める。
しかし1589年政宗蘆名氏を滅ぼし勢力拡大。大崎義隆は従属を余儀なくされる。 そのため1590年小田原征伐では単独での参陣が叶わず、 豊臣秀吉に所領を没収されてしまう。その後謝罪して旧領の一部返還の約定を取り付けるが、 同年葛西大崎一揆が発生し、 旧領が政宗のものになってしまう。 1592年文禄の役では、 蒲生氏郷に仕えて渡海し、その後、義隆は上杉景勝に仕える。

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