太田道灌

おおたどうかん ( oota-doukan )
1432 〜 1486


太田道灌 年表



太田道灌。名を資長という。代々扇谷上杉家の筆頭重臣、家宰を務め、太田道灌も家宰を務める。 父は資清。 母は山内上杉家の家宰、長尾景仲の娘。
はじめ上杉持朝に仕え、 古川公方の足利成氏との享徳の乱と呼ばれる長い争いで活躍。 1456年に家督を譲られ、父と共に河越城、江戸城を築城。父は河越城に入り、資長は江戸城を守る。 1467年持朝の孫の政真が跡を継ぐが、 1473年に討死してしまい、協議の結果、 持朝の三男の上杉定正を当主として迎える。
1476年今川家の家督争い鎮圧に出陣すると、 山内上杉家では景仲の孫、 長尾景春が古川公方と結んで謀反。 1477年、両上杉氏が陣取る武蔵国五十子を急襲して敗走させると、 周辺の国人もこれに呼応するが、太田道灌の迅速な対応で国人の諸城を次々と陥落させ、 孤立した景春1480年に没落。謀反を鎮圧すると、 1482年には古川公方と和議が結ばれ、長い争いが終結。
そのため、太田道灌の名声は主家を上回り、 危機を感じた定正は謀反などの讒言により疑うようになり、 1486年、太田道灌は相模国糟屋館に招かれて暗殺されてしまう。

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