太田資清

おおたすけきよ ( oota-sukekiyo )
1411 〜 ????


太田資清 年表



太田資清。代々扇谷上杉家の筆頭重臣、家宰を務め、太田資清も家宰を務める。 正室は山内上杉家の家宰、長尾景仲の娘。 父は資房。太田資清は上杉持朝に仕える。
1439年、鎌倉公方の足利持氏と争い自害させると、 1447年持氏の遺児、 足利成氏を鎌倉公方に就かせる。 持朝が隠居して嫡男の顕房に継がせると補佐し、出家して道真と名乗る。 成氏は父の敵の山内上杉家を恨んで対立していたため、 1450年景仲と道真は御所を急襲するが敗れ、 1455年の戦いで顕房が敗死してしまい、 持朝が復帰。享徳の乱と呼ばれる長い争いに発展する。
1456年、嫡子の資長 (道灌)に家督は譲って行動を共にし、 河越城、江戸城を築城して江戸城を資長に守らせ河越城に入ると、 道真は知勇兼備の勇将でありながら歌人として有名で、「河越千句」と呼ばれる連歌会を催す。
東国無双の知恵者と呼ばれた太田資清は晩年、越生に隠居するが、1486年、当主、 上杉定正による道灌暗殺の報を知らされることになる。

他の戦国武将歴史年表を探す

太田資清 グッズ

太田資清 グッズ

太田資清