太田資正

おおたすけまさ ( oota-sukemasa )
1522 〜 1591


太田資正 年表



太田資正。資頼の二男。兄に資顕。 太田資正は武蔵国の扇谷上杉家に仕え、 難波田憲重の娘を正室に迎える。
太田資正は武蔵国松山城主の憲重の下におり、1546年河越夜戦北条氏康の攻撃をうけて、 扇谷家が滅亡。また憲重が戦死してしまい、 既に跡継ぎを亡くしていたため松山城を継ぐことが出来たのだが、 翌1547年に兄が亡くなり岩付城を攻めて家督を継ぐ。 しかし北条氏に攻められて従い、 嫡男の氏資氏康の娘を正室に迎えるが、 太田資正は上杉謙信の関東出兵に従う。
これにより北条氏と敵対し、 1563年第二次国府台合戦で太田資正は、 里見氏に属して敗れ、1564年氏資に岩付城を乗っ取られて追放。 太田資正の二男、梶原政景たちは幽閉されてしまう。
太田資正は出家して三楽斎道誉と名乗り、下野国の宇都宮氏、 常陸国の佐竹義重と頼り、 義重に従い小田氏治と戦い常陸国片野城主となる。 岩付城を脱出した政景らと合流し、大名の佐竹家への取次を行う。 1584年北条氏との戦いで政景が突如寝返り、その後帰参。 これにより1588年、三男の資武に家督を譲る。 1590年小田原征伐が起こると、 豊臣秀吉に謁見する。

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