太田資康

おおたすけやす ( oota-sukeyasu )
1471 〜 1513


太田資康 年表



太田資康。道灌の嫡男。
父が扇谷家の上杉定正に忠義を尽くして戦を終結させると、 あまりの活躍ぶりに主家を超える名声を得る。これにより謀反などの讒言をする者があり、 定正との関係が悪化。そのため1485年、 古川公方の足利成氏に和議の為の人質ということで預けられるが、 翌1486年、父は定正に武蔵国糟屋館に招かれて暗殺されてしまう。 太田資康は居城の江戸城に戻り家督を継ぐが、定正に追い出されてしまう。
1488年、上野国の山内上杉家と扇谷上杉家が争う長享の乱が起こると、 同じく扇谷家に追い出され、家督を奪われた三浦義同と共に山内家に加担。 太田資康は義同の娘を正室に迎える。 1494年定正が落馬死し、 また、義同が家督を取り戻すと、跡を継いだ扇谷家の上杉朝良に仕え、 1505年長享の乱が終結すると、太田資康は江戸城に戻る。
しかし1513年義同北条早雲に攻められ、 太田資康は援軍に向かうが、早雲の軍に敗れ討死してしまう。

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