大谷吉継

おおたによしつぐ ( ootani-yoshitsugu )
1559 〜 1600


大谷吉継 年表



大谷吉継。吉隆とも。 父は大友宗麟の家臣大谷盛冶かも。
大谷吉継は石田三成らと共に豊臣秀吉の小姓として過ごすが、 1583年賤ヶ岳の戦いで七本槍につぐ戦功をたて、 1585年に従五位下刑部少輔に叙任。 1587年九州侵攻石田三成と共に兵站奉行を務め、 1589年五万石を与えられ、越前敦賀城主になる。 その後も小田原攻めなどの主な戦に従軍。
朝鮮出兵では石田三成と共に船奉行を務め、 1592年六月に渡海。 翌年明との交渉にあたる。
秀吉の死後は徳川家康に接近し、 1600年上杉討伐に従軍。 その途中で近江佐和山城の石田三成と会見。 石田三成から家康討伐への参加を求められるが、吉継は中止を勧める。 しかし石田三成の決意は固く、大谷吉継は家康討伐を決心する。
敦賀に帰り、そのまま挙兵。 前田利長軍を破り、関ヶ原に進出し、 離反の疑いのある小早川秀秋に備える。 東軍の猛攻を退けるが、秀秋が東軍に寝返り、大谷軍に襲いかかる。 吉継は奮戦するが、遂には破られ、大谷吉継は自刃する。

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